こんにちは!ラローです。前回のエイプリルフール記事は楽しんで頂けましたか?今回もクラシックについて紹介していこうと思います。
前回のあらすじ
宗教音楽から始まったクラシック音楽は、中世、ルネサンス期、バロック時代、古典派の時代と進化していきました。そして、古典派音楽の鳥を務めたのが、かの有名なベートーヴェン。
このベートーヴェンの登場によってクラシック音楽は新たなフェーズ、ロマン派へと移り変わります。
ロマン派初期
ロマン派の時代はあまりに多くの作曲家がいるため、大きく4つの時期に分けられます。
まずこのロマン派とはどのような時代だったのでしょうか?この時代に起きた歴史的事件といえば、
フランス革命でしょう。このフランス革命は王族の絶対的な支配に民衆が個人の権利を主張して、反旗を翻した事件です。ここから分かる通りこの時期は自己表現が鍵になってくる時代でもあります。
ロマン派初期の有名な音楽家といえば、フランツ・シューベルトでしょう。
彼は時として古典派の音楽家として扱われることもあります。確かに、彼の作品の多くは、古典派のスタイルを大きく崩すことはありませんでしたが、感情表現豊かな旋律や、革新的な手法は間違いなくロマン派の音楽家といって問題ないでしょう。代表作である「魔王」でも特徴的な連打による伴奏や、登場人物の心情を表す転調のようにロマン的な表現が見れる。
そして、もう一人語りたいのはニコロ・パガニーニ、通称「悪魔に魂を売ったヴァイオリニスト」。
彼はこのロマン派におけるヴィルトゥオーゾブームの先駆けとなった人物です。
ヴィルトゥオーゾ とは
「音楽の名手」、「芸術(音楽)の技術に優れた人」を意味するイタリア語
https://www.musashino-music.ac.jp/graduate/department1/instrumental/virtuosoより
ヴァイオリンを熟知していた彼は、カリスマ性や自身の風貌を悪魔に見立て、技巧的な演奏技術で注目を集めたといいます。
こうしたヴィルトゥオーゾの台頭に、「品がない」「冒涜的だ!」という否定的な意見も集まる一方、
彼の活躍は後の音楽家たちに大きな影響を与えました。
また、この時代にはカール・マリア・フォン・ウェーバーや、ジョアッキーノ・ロッシー二といった作曲家たちがこぞってオペラを作りました。このオペラも、もちろんロマン派の影響を大きく受けていて、時に現実離れしたストーリーが展開されていて、中でもロッシーニはベル・カントと言われる歌手の実力を見せる歌唱部分を作り、表現を広げました。
この時代に活躍した音楽家をまとめると、
- 悪魔に魂を売ったヴァイオリニスト パガニーニ
- オーケストラの武器庫 ウェーバー
- 音楽家寄りの美食家 ロッシーニ
- 歌曲王 シューベルト

彼は友人のためによく「シューベルティアーデ」と呼ばれる夜会を開いていた。
友達100人いそう。
ロマン派中期
エクトル・ベルリオーズ、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ、フェレンツ・リスト、
フレデリック・ショパン、ロベルト・シューマン、フェルディナント・ヒラー、彼らはこの時代を代表する音楽家で、互いに交友関係を持っています。この人たちの伝記を見ると、高確率で他の音楽家とわちゃわちゃしている様子を見ることができるでしょう。僕は一番この時期が好きです。
リストは前記のパガニーニに影響を受けた人物で、「ピアノのパガニーニになる」と語っていたそうです。彼はその超絶技巧で人々を魅了し、パリの音楽界の中心にいました。また、その演奏技術や自身の美貌を魅せるために様々な工夫を施しました。譜面を見ずに演奏する暗譜や、ソロリサイタル、加えて演奏後に自身が身につけてるものを投げるやつなどを初めてやったのもリストと言われます。
彼の作った「パガニーニによる大練習曲 第3番 ラ・カンパネラ」は尊敬するパガニーニの旋律を取り入れた高音の響く曲で、ピアノ奏者の壁として有名です。
リストと対照的に挙げられるピアノ奏者といえばやはりショパンでしょう。彼は民衆受けを狙ったリストとは違い、貴族の社交界で開かれた私的な演奏会で活躍していました。ショパンはこの演奏会のためにピアノの小曲をたくさん作曲しました。中でも、気品のある円舞曲や、華麗な練習曲が有名ですが、ポーランド人であった彼はマズルカやポロネーズのような母国を象徴した音楽もたくさんつくりました。また、フィールドという作曲家の作った夜想曲という形式を発展させたのも彼の功績です。
夜想曲とは
深い情緒を讃えながら、うっとりと夢のようなメロディが流れるロマンティックなピアノの小品。
一番よくわかる楽典入門 より引用
こうした若手の音楽家が活躍する一方で過去の音楽を復活させようと動く人物がいました。
それがメンデルスゾーンです。彼は作曲家、指揮者、演奏家として幅広く活躍した人物です。そんな彼は20歳の時にJ.S.バッハの「マタイ受難曲」を再演し、今まで知る人ぞ知る人物だったバッハを世間一般に知られる音楽の父にした彼の功績はクラシック音楽界最大の功績といえましょう。
ヒラーも同じように過去とこの時代を繋ぐ大きな役割をした音楽家です。
彼は優れたピアノ奏者でありながら、様々な音楽を研究した作曲家でもあります。
中でもパレストリーナなどの宗教音楽を研究し、「オラトリオ《エルサレムの崩壊》」を残しました。
また、他の同時期の作曲家たちと多く交流し、彼らの伝記などを残して後世に彼らの活躍を伝える手助けをしました。
音楽評論家として活躍したシューマンも欠かせられません。
彼は新音学時報を書き記し同時代の作曲家を多くの人に彼らの凄みを伝えました。彼らは自身の評論をダヴィッド同盟という架空の秘密結社を通してつたえました。
この同盟は感情的なフロレスタントと静かなオイビゼウスに彼らの指導者というラロー先生の対話によって音楽を解説する形式で進行しています。
その批評の中でも代表的は、やはりショパンに対して発した「諸君脱帽したまえ、天才だ!」の一文でしょう。
作曲者の感情がより表現されるようになったこの時代音楽界に激震が走ります。
ベートーベンの渾身の第九の6年後に誕生したベルリオーズの問題作「幻想交響曲」です。
こちらは当時としては大規模なオーケストラ編成で書かれた他、当時大論争を巻き起こした作者による標題が導入されました。
この標題は作曲者によってその曲に込められたストーリーを共有する画期的なものであった一方で、音楽家の中には「音楽は音楽以外の何者でもない!たわけ!」と主張する人もいました。
以前にもヴィヴァルディの四季、ベートーヴェンの田園といった標題音楽が存在しましたが、今回のはざっくり説明すると「女優にガチ恋しちゃった芸術家さん!振り向かない彼女に絶望してアヘンで自殺試みるも死ねず、夢の中であの子コロしちゃって死刑判決!〜地獄で一緒にパーリナイしたたった〜」みたいな感じです(意訳)。まあ受け入れられない人が出るのもわかる内容ですね。
この時代に活躍した音楽家は
- ピアノの魔術師 フェレンツ・リスト
- ピアノの詩人 フレデリック・ショパン
- 幸福な風景音楽家 フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ
- 博学の巨人 フェルディナント・ヒラー
- ザ・ロマンチスト ロベルト・シューマン
- 恋狂いの表現者 エクトル・ベルリオーズ
他にもこの時代には、クララ・シューマン、ファニー・メンデルスゾーンといった女流音楽家が活躍しました。オペラではジャコモ・マイアベーアの一強だった時代でもあります。音響や音の性質に注目した作曲家でシャルル=ヴァランタン・アルカンもあげられるでしょう。
大豊作ですね

「う、うわあ…ブラボーwアンタぐらいっすよ。こんな大人数集めてどんちゃんするのは…俺みたいな凡人には、うーん理解しかねますぜ。
次は大砲でも使ってみたらどうです?そしたらこの会場もオーケストラも効率よくぶっ壊せますよw」
ベルリオーズは大砲を使うことはなかったが、のちに使用する作曲家も登場した。

みているだけで惚れ惚れするこの男、私の一番好きな作曲家です。
初めて指揮棒を使って指揮をした人物のひとりだと言われています。
ロマン派後期
この時代は一人の男を中心に物語が進みます。
彼の名はリヒャルト・ワーグナー。ファンネームはワグネリアン。彼の音楽は国王まで魅了し、同時期に生きた音楽家は彼を意識しながら作曲していました。ニーチェ、サルバドール・ダリ、三島由紀夫、宮崎駿と時代も国も超えて愛されています。
彼はドイツ的なオペラの作曲に尽力しました。驚くべき点は台本、演出、指揮も一人でこなしたという働きぶり。作曲を始めた経緯も演劇に使うBGMを自作したいというものだったそうです。生粋のクリエイターですね。彼の大きな功績は「ライトモチーフ」と呼ばれる技法の確立でしょう。
ライトモチーフとは
特定のメロディを人物や場面と関連づけたもの。このメロディに変化をつけたり、仕込むことで、状況の変化や登場人物の心境を表すほか、作品全体に一貫性を持たせられる。ワーグナーはベルリオーズの提唱した固定楽想という技法から影響を受けたとされる。
オペラだけでなく近年の映画やゲームでも、物語に深みを出すことができるためサウンドトラックに使用されている。
例:スターウォーズ(ダースベイダーのテーマ)、Undertale(オープンニングテーマ)
この技法によってワーグナーは大規模なオペラを作りあげ、総合芸術としてのオペラを揺るぎないものにしました。彼のオペラは楽劇と形容されるようになります。彼の代表作「ニーベルングの指環」はこの4つの楽劇からなる一つの作品で上演するには15時間かかる大作として知られています。
ここで他の国のオペラの発展も見てみましょう。
フランスではジョルジュ・ビゼーとジャック・オッフェンバックの二人がオペラを大きく発展させました。
ビゼーは言わずと知れた「カルメン」「アルルの女」で知られる作曲家です。
彼は短命ながらも今までの浮世離れしたストーリーから下劣でも生きている現実的な生を描いたドラマに発展させた評価されています。彼の「カルメン」はフランス史上最も優れたオペラとされている。
オッフェンバックは「地獄のオルフェ(天国と地獄)」などのオペレッタで知られる作曲家です。
オペレッタとは
イタリア語で「小さいオペラ」を意味するが、特段小規模であるとは限らない。
多くはハッピーエンドで終わる。日本語では喜歌劇とも訳される。
軽快なメロディやファンファーレのようなエンディングからモーツァルトの再来と称され、オペレッタの先駆者となった人物です。
イタリアではジュゼッペ・ヴェルディが活躍していました。
このヴェルディは大衆文化としてのオペラを根付かせるのに一枚噛んでいて、今でもオペラの定番はヴェルディと不動の地位を気づいている。
代表作の「アイーダ」にみられるような他国の様式を取り入れつつイタリア流に調理した多国籍オペラは後の世代に継承されていきました。
こうしたオペラの動きもワーグナーの影響です。
また、彼のオーケストレーションはこの時代の管弦楽曲に大きな影響を与えました。
アントン・ブルックナーはワグネリアンでもあり、彼の進歩的な音楽の支持者でした。
オペラなどを生涯手がけることはありませんでしたが、大規模なオーケストラで自身の名が冠されるほど特殊な技法を使用して巨大な交響曲を築き上げました。中でも「交響曲第8番」巨人が作り上げた創作物だと評されるほど人気の作品です。
そして、ワーグナーの影響は作曲だけには止まりません。彼は優れた指揮者でもあったのです。
彼の弟子にハンス・フォン・ビューローがいます。
拍を知らせるだけの役割である指揮者に疑問を持ち、曲を自分で解釈して表現を重視する近代指揮法を確立した人物です。
こうした近代指揮法の確立によって職業としての指揮者が誕生しました。
また、ビューローは解説王としての面でも知られます。
その理由は彼の解説が現在でも使われることがあるからです。
代表的なものだと「ドイツ3B」「バッハの平均律クラヴィーアは旧約聖書だ」「ベートーヴェンのピアノソナタは新約聖書だ」などでしょう。
このようにワーグナーは新しい表現を用いたことから革新派や標題音楽の大家としてこの時代で活躍していました。
そんな彼と対極になる作曲家がいました。それがヨハネス・ブラームスです。
ブラームスはワーグナーとは対照的に絶対音楽の守護者として大きな影響をもたらしました。
ブラームスはバッハやベートーヴェンの様式を研究し、豊かな響きを持つ曲をたくさん作り出しました
中でも彼の「交響曲第1番」はベートヴェンの第10番と表現されるほど評価されています。
こうした標題などのついてない単一で芸術として成立させようとしている音楽を絶対音楽と呼び、標題音楽と切磋琢磨していくことになります。
この時代に活躍した作曲家は
- 楽劇王 リヒャルト・ワーグナー
- 情熱の歌劇 ジョルジュ・ビゼー
- 喜歌劇の祖 ジャック・オッフェンバック
- オペラ王 ジュゼッペ・ヴェルディ
- 交響的レーサー アントン・ブルックナー
- 指揮と解説王 ハンス・フォン・ビューロー
- 古典の後継者 ヨハネス・ブラームス

彼の音楽は死後ナチ党のプロパガンダに使用されてしまい、現在でも一部地域では演奏禁止とされています。
ワーグナーは匿名で他の作曲家を誹謗中傷するような酷いこともしていましたが、音楽と作曲家は別で評価すべきと僕は考えています。
後編に続く
クラシック音楽歴史がありすぎますね。あともう一回ぐらい続きます。
次は国民学派から始まりますよ!
もう少しお付き合いください。
ラローでした!